会報誌 第33号
会長あいさつ
皇學館高等学校同窓会 会長 坂田 巧(第一期生)
創立五十周年記念事業を終えて
五年に亘り準備を進めてまいりました、創立五十周年記念事業を昨年九月十四日に実施させていただきました。
同窓会会員の皆さまをはじめ神社界、経済界、現旧教職員の皆様方には、多額のご寄付を頂戴しましたこと、厚く御礼申し上げます。
当日は好天に恵まれ、祭典、式典、記念講演、記念コンサート、そして大懇親会まで、すべて滞りなく終了させていただきました。
特に大懇親会は同窓会が担当しましたが、倉陵会館の一階、二階を会場に、ご来賓の方々を始め、教職員、同窓生合わせて四00名余りが集い盛大に行われました。
卒業生による演奏や落語も盛り上がりましたし、特に2年間に亘って試験的に行ってきました、卒業生が経営する有名飲食店による屋台は大好評で、料理も早々に無くなる盛況ぶりでした。
この大懇親会の準備から当日の運営まで、同窓会役員の方々には随分ご苦労をおかけしましたが、この場を借りまして心より御礼を申し上げます。
すでにお知らせしておりますとおり、五十周年を機に会報の発行を中止いたします。従って会員の皆様との接点はこのホームページのみとなります。逐一新しい情報を掲載していきますので、是非ご覧いただきますようお願いします。
さて、私が同窓会長をお受けしましてから十年が経過いたしました。
当初目標に掲げましたのは、一つには五十周年事業の成功と、もう一つには本部役員会と年度幹事会の充実でありました。残念ながら後段の方はほとんど実行できずに終わってしまいました。私の不徳の致すところで誠に申し訳なく思っております。
五十周年を終えて同窓会も新しい一歩を踏み出しました。ここで体制も一新すべく、退任をさせていただくことと致しました。後任には、二十期生の森大亮君をご指名させていただきました。きっと若い力と感覚で、新しい同窓会を作ってくれるものと確信しております。
会員の皆さまには、五十周年を終えたこれからも、更に同窓会及び母校の発展のために、今後も変わらぬご協力のほどを賜りますよう、宜しくお願いし、五十周年事業への御礼と退任のご挨拶と致します。
永年にわたりありがとうございました。
平成二十六年五月二十四日
皇學館高等学校同窓会 会長 坂田 巧(第一期生)
学校長あいさつ
同窓会
皇學館高等学校は、この四月八日、第五十二期生にあたる新人(新入生)三六三名を迎えました。大学記念講堂を会場とした入学式は、恒例通り、賀陽宮邦憲王の令旨奉読に開始されましたが、奉読中、不思議な充実感がありました。それは、時間の蓄積にともなう安定感といった種類のものです。「皇學館教育ノ旨趣ハ…皇国ノ道義ヲ講ジ、皇国ノ文学ヲ修メ、之ヲ実際ニ運用セシメ以テ倫常ヲ厚ウシ文明ヲ補ハントスルニ在リ」─ よくわからないでしょうが、耳から入る文語体のリズムは、新人たちにそれまでとちがった世界を垣間見る感じを、確実に伝えたことだと思います。
これは、丈の高いお諭しです。明治三十三年、西暦で一九〇六年に発せられていますが、当時の若い新興国家の命題は、近代国家の形成にあり、それは西洋化の達成とイーコルだったので、わが国の伝統は、顧みられることがなかったのでした。それでは、いけない。固有のアイデンティティを見失うことなく、文明を創り出すことが大切である。 ─このお諭しの中心は〝実際ニ運用セシメ〟、現実に相応して、と、いうところにありました。新人たちには、後にそんな解説をしたのでしたが、建学の精神に、こうした高邁な精神的基盤が与えられていることに感謝しなければなりません。グローバル化の進展するなかで、こうした遺訓が示され問いかけられるようにあることは、とても大切です。在学時代に何ということもなく過ぎていたことが、時の経過とともに、その意味が感得できるようになる ─「建学の精神」は、そうした機能を備えたもののようです。そして同窓会というものも、ああ、そうだったな、と、ある時、ふと、想起され、自然に輪がひろがる、そうした種類のものといっていいかも知れません。この間、何人かの卒業生たちと再会して ─ 彼らは、担任だった頃、とても、皇學館的なものからほど遠い、手のかかる生徒たちでしたが─ そんな彼らが、ずいぶん〝学館〟的に変化していたのです。社会的ステータスから遠い彼らは、自分の置かれた社会の部分で、堅実に明るく生き、着実に部分を形成している。そうした形で〝文明ヲ補〟っています。そうした卒業生と交歓できるのは、教師冥利につきることです。延長線上にある同窓会が、ある日の人生のなかで、無理なく回帰できる集いの場のひとつであることもまた、確実なことです。
学校長 中村 貴史
中島 勝の紹介
昭和51年春、皇學館高校から一枚の葉書が送られて来た。それは合格通知だった。涙が溢れてきたことを今でもハッキリと憶えている。大の勉強嫌いで、中学時代の成績が尻から数えた方が早い私には、高校進学はまず無理だろうと思っていたからである。おそらく入試もギリギリセーフだったろうに。とにかく嬉しかった。ただ、坊主頭になるのが嫌でたまらなかった。当時の校則で男子は丸刈り。入学式の前日、いつもの理容店で五分刈りにして帰って来た私を見るなり、母親が涙を拭きながら大笑いした。それがキッカケで母への反抗が始まった。母とはいっさい口を聞かず、母の前では家の中でも常に帽子をかぶっていた。父は何も言わなかった。母は何度か、泣いて「勝、ゆるしてんかん。お母ちゃんが悪かった」それでも口を聞かなかった。それでも母はいつものようにご飯を作ってくれた。そんな生活が半年ほど続いただろうか。とうとう天罰が下った。山田へ遊びに行った帰り道、自転車で転倒し膝を強打。痛みをこらえてそのまま病院へ。膝に大量の血が溜まり、太ももから足首まで石膏で固められ入院するはめに。病院からの報せで、あわててやって来た母の顔を見るなり涙が止まらなかった。「お母ちゃん、ごめんな」その時には、もう帽子はかぶっていなかった。
高三の5月、師匠である桂米朝に初めて会った。高校が皇學館だと伝えると、自分が姫路の神社の長男であることから「私も、噺家になってなかったら皇學館に行ってたかもわからん。何ぞの縁やなあ」卒業式の二日後、54年3月3日、宇治山田から大阪へ。駅のホームで手をふる母を見て、ここで泣いたら男やないと思ったが、やはり涙をこらえることができなかった(よう泣く男や)。そして米朝に入門。伊勢の勢、米朝の朝をいただき桂勢朝。
時は過ぎ、平成25年9月14日。皇高創立50周年記念行事、祝賀会の余興に呼んでいただいた。直前に記念講堂で行われた夏川りみさんのコンサートで、名曲「涙そうそう」の美声に酔いしれたあとの大宴会。参加者の誰もがお祝いムード全開。ましてや会場は立食パーティー。おまけに一緒と二階に分けられている。正直言って、この場をどうやって盛り上げろちゅうねん、こりゃ殺生やでと思った。ところが、私がステージに上がるやいなや、皆さんお喋りをやめ二階にいた人もほとんどが一階へ。同窓生みんなで盛り上げてくれた。ひとつになった感じがした。
あたたかい同窓生に感謝!!皇學館に感謝!!
皇高時代の古いアルバムをめくり、ありがとうってつぶやいた♪
14期生
桂勢朝 こと 中島勝
平成26年度総会のお知らせ
平成26年度 同窓会会員総会 開催のお知らせ
平成26年度の同窓会会員総会を下記の日程で開催させていただきます。
年度より、全会員への封書による総会案内の送付を廃止し、同窓会ホームページによるお知らせのみとなりました。また、同窓会会報も印刷物による発行からWeb版よる会報の発信に切り替わります。ご了解のほど、よろしくお願い申し上げます。
なお、できる限り多くの方々への周知を図るため、クラスを代表する年度幹事の皆さまには、葉書により直接ご連絡をさせていただきました。クラスや同学年の級友をお誘い合わせの上、ご参加いただければと存じます。
ご出席の場合は、同窓会ホームページ上、もしくは事務局へ電話かファックスでご連絡をお願いします。(複数での申込は、代表者と出席希望の方々のお名前をお知らせください)
〆切を7月15日(火)とさせていただきます。よろしくお願いします。
【 日時 】 8月3日(日)
・受付 16時30分 ~
・総会 17時 ~
・懇親会 18時 ~(会費2000円)
【 会場 】 割烹 大喜(宇治山田駅前)
【 申込 】
・ホームページ https://www.kogakkan-d.jp/sokai2014
・事務局(皇學館高校内) TEL 0596-22-0205 / FAX 0596-24-3141